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熊谷真尚 manao kumagai

武道家の考えについて、取材させていただいた。

今回は空手道禅道会の師範、熊谷真尚について紹介する。

浜松市を中心に東海地区で複数の道場を運営しており、武道を体験させていただくために連絡を取った。
熊谷は、禅道会の全日本大会であるRF空手道選手権大会で2階級を連覇した実績を持つと聞いていたため、恐る恐る道場へ入った。
しかし、そんな不安とは裏腹に、熊谷の話は精神論をまったく感じさせない
わかりやすい説明と合理性、体力に合わせた運動量で、ちょうどいい疲れ具合に心地よさが残る。
武道歴は30年ほどだという。
思い切って切り出してみた。
今まで歩んできた武道人生、気付きなどを文章にしてみたいと。

熊谷真尚武道人生

 

1990 年代

対戦格闘ゲームの流行は「飲み屋が大打撃を受けている」とニュースになるほどの社会現象を生み出していた。

仕事帰りのサラリーマンが飲み屋ではなくゲームセンターに行ってしまうためだ。

そんなゲーセンの対戦台に座っていたのが、当時19歳の熊谷である。

熊谷の対面には、100円玉を握りしめた人たちの列ができていた。

対戦待ちである。

次々に申し込まれる対戦相手を倒し続け、熊谷は、こんなことを思ったと言う。

 

「相手が次に何をやってくるのか、何をやりたいか、全てがわかる感覚がありました。それならば、本物の格闘技でも行けんじゃないかって」

 

生まれた家庭は、一般的なサラリーマン世帯で、ごく平凡な幼少期だった。

スポーツにも特に興味がなく、やればなんとなくできてしまうという感じ。

そんな調子だから、何かに夢中になって取り組むこともないまま、気が付けば高校生になっていた。

部活動を決める時に興味を持ったのが弓道。そこで初めて武道というものを知った。

高校を卒業した後、デザイナー学校へ入学するも中退。

なぜならば学校ではなくゲーセンに通っていたからである。

 

1994年、まさに冒頭に書いた、対戦格闘ゲームのブームが直撃していたという訳だ。

飯田市で開催された「バーチャファイター2トーナメント大会」に参戦し、決勝戦まですんなり進み、最後はお得意の「崩撃雲身双虎掌」をブチ当ててあっさりと優勝。

今で言う中二病的なノリのまま、リアル道場へ入門したと言うのである。

 

「友人が総合的な空手の道場で稽古していると言っていたので、軽い気持ちで紹介してもらいました。 私は、渇望というか、強くなりたいという欲求はあまり無くて、やれば思い通りになる、というバーチャルな思考で始めた記憶があります。よく言えばプラス思考ですね」

 

そして現在の禅道会へ入門した。

しかし、最初は熱心に稽古へ取り組んだわけではない。

基本稽古はすっ飛ばし、スパーリングの時間だけ現れていたと言うのだ。

普通、基本も覚えないままスパーリングをしたら、痛い思いをして嫌気がさしてしまうと思うのだが、熊谷はどう思ったのか…。

 

「当然のことながら、ボロボロにやられて痛いですから、嫌になってサボります。行かない。でも、何日もサボっていると、自分が逃げているみたいで嫌な気分になってくるんです。寒い日は中々コタツから出られず、行こうかサボろうか、という葛藤を乗り越えて、遅れて稽古に行くので基本はやらないんです。スパーリングではまた痛い事されるので、しばらくサボるというループですね」

 

熊谷が空手を始めたのは1996年。先生や先輩のいう事は絶対的で、聞かなければならない、という風潮が残っていたそうだ。

「封建制度の名残というか、儒教的というか、先生に言われたことには全て押忍と答える時代です。『頑張れよ』と言われれば、サボることこそあっても、辞めるという選択肢はなかったので続いたのだと思います」

 

敗北意識変化

 

そんなサボり気味の態度が一変したのは、入門して一年程した頃のこと。

寝技(今でいう柔術)の小規模大会が開催され、出場した熊谷はそこであっさりと首を絞められて負けた。

 

練習しなければ強くならないという当たり前のことを、体で教え込まれた。

格闘ゲームは努力して巧くなったわけではなく、楽しくやっていたら勝てるようになっていただけである。今回ばかりは悔しさがバネになったのであろう。

「首を絞められて負けるって、殺された事と一緒だと思ったんです。今まで、のらりくらりとやっていたのは、自分の不注意、警戒心不足。そんな事で自分を殺めてしまったと考えると、悔しくてね~」

以降、人が変わったように、毎日練習に励むようになった。

今まで参加した事のない基本稽古に初めて顔を出した時には、周りも笑っていたそうだ。

豹変したように取り組んだ練習内容が凄まじい。

「朝5時に総本部へ行って、内弟子をしていた子と、暗いうちから体力づくりを始めました。軽くランニングをしてから、おんぶして、ひたすら400mダッシュ、その後に道場で相撲、最後に投げ関節のスパーリングを5分10R。私の体重が70Kgなのに対して、内弟子の子は100Kg超えていて、毎日フラフラでした(笑)終わってから仕事に行き、夜7時から合同稽古に参加して、最後は筋トレというメニューで毎日6時間以上、365日、休まず練習をしていました」

そして大会にも積極的に参戦していった。

 

●主だった試合戦績は下記の通り。

1999 年 第一回「リアルファイティング空手道選手権」-72.5kg 級優勝

2000 年 第二回「リアルファイティング空手道選手権」-72.5kg 級優勝

2001 年 第三回「リアルファイティング空手道選手権」-72.5kg 級優勝

2002 年 第四回「リアルファイティング空手道選手権」-72.5kg 級優勝

2002 年 2 月「ORG-1st」佐藤伸哉選手に判定勝ち

2002 年 5 月「プレミアム・チャレンジ」MAキック王者港太郎選手に判定勝ち

2002 年 7 月「TRIAL-空手の逆襲-」プロレスラー 冨宅飛駈選手とドロー

2003 年 4月「PANCRASE」大場裕司選手に判定勝ち

2005 年 第七回「リアルファイティング空手道選手権」 -82.5kg 級 優勝。

2006 年 第八回「リアルファイティング空手道選手権」 -82.5kg 級 優勝。

熊谷真尚 manao kumagai
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