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禅道会師範・熊谷真尚の武道人生

 

バーチャルの世界から、リアルな世界にシフトする

 

今回、紹介するのは空手道禅道会師範の熊谷真尚である。

1990 年代に始まった対戦格闘ゲームの流行は、飲み屋が打撃を受けている、とニュースになるほどの社会現象を生み出していた。仕事帰りのサラリーマンが飲み屋ではなくゲームセンターに行ってしまうためだ。そんなゲーセンの対戦台に座っていたのが、当時19歳の熊谷である。

対面には100円玉を握りしめた人たちの列ができていた。熊谷との対戦を待っているのだ。次々に申し込まれる相手を倒し続け、熊谷は、こんなことを思ったと言う。

 

「相手が次に何をやってくるのか、何をやりたいか、全てがわかる感覚がありました。それならば、本物の格闘技でも行けんじゃないかって」

 

生まれた家庭は、日本によくあるサラリーマン世帯で、ごく平凡な幼少期だった。スポーツにも特に興味がなく、やればなんとなくできてしまうという感じ。そんな調子だから、何かに夢中になって取り組むこともないまま、気が付けば高校生になっていた。部活動を決める時に興味を持ったのが弓道。そこで初めて武道というものを知った。高校を卒業した後、デザイナー学校へ入学するも中退。なぜならば学校ではなくゲーセンに通っていたからである。1994年、まさに冒頭の対戦格闘ゲームブームが直撃していたという訳だ。飯田市で開催されたバーチャファイター2トーナメント大会に参戦し、あっさりと優勝。そのノリのまま、リアル道場へ入門したと言うのである。

 

「友人が禅道会の前身となる道場で稽古していたため、軽い気持ちで紹介してもらいました。 私は、大切に育てられたおかげか、渇望というか、強くなりたいという欲求はあまり無くて、やれば勝手に思い通りになる、というバーチャルな思考で始めた記憶があります」

 

入門後、練習に取り組む気持ちも熱心ではなかったらしい。基本稽古はすっ飛ばし、スパーリングの時間だけ現れていたと言うのだ。

普通、基本も覚えないままスパーリングをしたら、痛い思いをして嫌気がさしてしまう場合が多いのだが、熊谷はどう思ったのか…。

 

「当然のことながら、やられれば痛いですから、嫌な時はサボります。行かない。でも、何日もサボっていると、自分が逃げているみたいで嫌な気分になってくるんです。寒い日は中々コタツから出られず、行こうかサボろうか、という葛藤を乗り越えて、遅れて稽古に行く。そうすると、また痛い事されるので、しばらくサボるというループですね」

 

熊谷が空手を始めたのは1996年。先生や先輩のいう事は絶対的で、聞かなければならない、という風潮が残っていたそうだ。

「封建制度の名残というか、儒教的というか、先生に言われたことには全て押忍と答える時代です。『頑張れよ』と言われれば、サボることこそあっても、辞めるという選択肢はなかったので続いたのだと思います」

 

 

試合で負けた悔しさが練習に取り組む意識を変えた

 

そんなサボり気味の態度が一変したのは、入門して一年程した頃のこと。寝技中心の小規模の試合が開催され、出場した熊谷はそこで負けたのだ。

「自分よりも後から始めた人に負けたことが悔しくて。それから毎日、遅れずに稽古に参加するようになりました」

 

練習しなければ強くならないことを体で教え込まれたのである。 ちなみに、格闘ゲームは努力して巧くなったわけではなく、楽しくやっていたら勝てるようになっていただけである。今回ばかりは悔しさがバネになったのであろう。以降、人が変わったように、毎日練習に励むようになった。そこから半年ほどで、それまで全く歯が立たなかった先輩たちにも勝ち続け、禅道会旗揚げ最初の黒帯となった。

 

●主だった試合戦績は下記の通り。

1999、2000、2001、2002 年

第 1〜4 回「リアルファイティング空手道選手権」-72.5kg 級優勝 4連覇

2002 年 2 月「ORG-1st」出場 佐藤伸哉選手に判定勝ち

2002 年 5 月「プレミアム・チャレンジ」出場       港太郎選手に判定勝ち

2002 年 7 月「TRI♙L-空手の逆襲-」出場    冨宅飛駈選手とドロー

2005 年 10 月、リアルファイティング空手道選手権 -82.5kg 級 優勝。

2006 年 9 月、リアルファイティング空手道選手権 -82.5kg 級 優勝。

 

堂々たる試合実績である。

その実績に比例するかのように練習量は増えて行った。

 

「朝5時に総本部へ行って、内弟子をしていた子と、暗いうちから体力づくりをしていました。軽くランニングをしてから、おんぶして、ひたすら400mダッシュ、その後に道場で相撲、最後に投げ関節のスパーリングを5分10R。私の体重が70Kgなのに対して、内弟子の子は100Kg超えていて、毎日フラフラでした(笑)終わってから仕事に行き、夜7時から合同稽古に参加して、最後は筋トレというメニューで毎日6時間以上、休まず練習をしていました」

 

 

実力も運のうち

 

入門した時には考えられない練習量である。そんな熊谷に「今、振り返ってどの試合が胸に残っているか」を訊ねたところ、それが「無い」という意外な答えが返ってきた。その理由は2つあり、「層と運」の要因が大きいからだと言う。

 

熊谷のロジックは、例えば10000人の門下生がいる空手団体の全日本大会で優勝した場合、実際には3分の2が少年部である。大人は3000人にも満たない。さらに、女性や高齢の方も居るため、試合に出る層で、自分と同じ階級のトーナメント参加者は30人もいない。

その中で、毎日6時間以上稽古している人は3人くらいしかいなかったと言うのだ。

 

「トーナメントで警戒しなければならない相手って少ないですし、別ブロックで減ってくれる確率もあります。それに、家庭があったり、怪我をしたり、その大会に全振りできなかった環境の人もいます。だから優勝したのは、層の薄さと運によるもので、実力とか、強いとか、あまり意味が無いと感じ始めちゃって」

 

練習量の多さは、たまたま努力できる環境に恵まれただけで、偶然に層が薄かっただけで、優勝も運だと語るのだ。

 

少し話は戻るが、格闘ゲーム大会の後日談。優勝した後、東京まで腕試しに行ったそうなのだ。新宿や池袋のゲーセンをホームとしていた有名なゲーマー達を待つも、中々現れない。そこで、適当な人に勝負を仕掛けていった。スーツを着たエリートサラリーマン風、茶髪のロン毛、終いには中学生にまで、勝てない。有名ゲーマーにたどり着く前に、持ってきたお金を使い果たし、ゆらゆらと高速バスに揺られて逃げ帰って来た。

 

「これはもう、田舎と東京の層の厚み。圧倒的差だと痛感しました」

 

熊谷はDEEPやパンクラスと言った総合格闘技のリングでも10試合ほど戦っている。そんな舞台ならば、選手層が厚いと思うのだが、どのように考えているのだろうか。

 

「私の考えは単純で、生まれた時に、ねずみなのかウサギなのかキツネなのか、という事だと思っています。リングに上がる人は、みんな追い込んで練習しているわけで、努力環境も同じくらい。そしたらウサギはキツネには勝てません。たまに後ろ足で蹴り上げて穴に潜ってセーフ!という事はあるでしょうけど勝率は決して高くならない。そしてキツネすら、たまにいるオオカミには勝てません。私はちょっと頑張って角をはやしたウサギだっただけで、キツネにもオオカミにも勝てませんよね。戦績は勝ったり負けたりの繰り返しでした」

 

なんとも身も蓋もない考え方に思えてしまうが、つまり層が厚くなるほど、生まれながらのセンスや才能、加えて環境など、運に恵まれた人も増えていくため、そこの勝敗に一喜一憂していても、あまり意味がないと考えるようになったわけである。

 

「自分では、限界までやったと思うんです。もうこれ以上は身体が持たない所まで追い込んで、それでも届かないので、なるほどね、と思って」

 

 

君子豹変の技術と指導

 

禅道会が発足した1999年に、熊谷は中津川市へ、翌年、瑞浪市、飯田市と、続けて道場を開いている。その後、2004年に浜松市へ渡り支部を開設。2014年には禅道会で最大の生徒数を誇る支部長になっていた。

 

力を注ぐ目標を、勝敗重視の試合から指導へと移していったのだろう。魅力ある指導者の元には多くの門下生も集まってくるものである。その指導力について興味が沸いた。

 

「教えるのってあまり得意じゃないですけど、楽をしないという事は意識していました」

 

最大支部を作り上げたにも関わらず、教えるのが得意ではないという。そして、楽をしないとはどういう事なのだろうか。

 

「相手が求めている事をサラッと言えれば、好感度も上がって楽だと思うのですが、その求められている答えに疑問を持つことも多くて」

 

例え話の多い熊谷の言い分はこうだ。

女性が髪を切ったとして、それにいち早く気が付き、スマートに「似合うね」と、さりげなく言える男性はモテそうである。しかしどうだろうか。専門家、美容師ならば、こうすればもっと良くなると思う事もあるだろう。あるいは、そもそも骨格的に似合わない選択をしている場合もある。別の髪型をオススメする事だって必要ではないか。敢えて思った事を伝える、楽をしないように気を付けている、と言うのである。

 

「嫌われたりする事もあるのかも知れませんが、相手の事を考えた結果なので、別にいいかなって」

 

体型や骨格、その人の目的によって必要な技術は変わる。同じ内容の質問に対して、一人目には右と答え、二人目には左と答える事もあったそうだ。一貫性が無いと思われても気にしない。君子豹変である。

 

現在は指導を全て仲間に任せ、熊谷は新しい仕組み作りに取り組んでいる。

その中で最も試行錯誤している事が「非日常」だという。

 

 

非日常と情報革命

 

禅道会に入門した初心者が、最初に聞くように勧められる小沢代表の講義がある。運動力学や大脳生理学を、誰でもわかりやすい形にして起承転結でまとめた内容だった。根性論が苦手でサボり気味の熊谷にとっては、理論的で受け入れやすい内容だったのだろう。

 

「当時はインターネットもない時代ですから、身近でそんな話をする人を知りませんでした」

 

その講義を聞いてから、熊谷は飲み会によく参加するようになった。

 

「先生の話を少しでも聞くために、2次会3次会にもついて行きました。飲み屋ですからとても騒がしくて、その雑音の中で耳を澄ませて何とか言葉を聞き取ろうとする事が、私にとっての非日常でした」

 

熊谷は話の中で、よく「非日常」という言葉を使うが、単に日常から離れる事を指すのではないらしい。散らかった状態(カオス)を、段階的な負荷(ストレス)によって整理していった先でなければ非日常にはならないと、熊谷は定義している。それがとても重要な事であり、かつては道場や飲み会で体験していたと言う。

しかし

 

「今は道場や飲み会での非日常体験は難しいでしょうね」

 

時代の転換点となったのは2000年、インターネット時代の幕開けと共に、情報革命が始まった。必要な情報をいつでも調べられるようになり、便利な世の中になったと感じるが、非日常と情報革命は逆相関だと言う。

 

熊谷の例え話を紐解くと、音楽を聴く目的を、ただの情報収集ととらえるならばMP3の音域だけで事足りる。しかしなぜハイレゾが作られたかといえば、人間の耳には聞こえない音域まで再生したほうが、不思議と良い音に感じる、情緒も変わる事が分かったからだ。ましてレコードは湿度で音まで変わってしまう。管理も大変、雑音も入るけれど、人間はそこに風情や情緒を感じるという。そして、何よりもコンサートは、チケット取る、新幹線抑える、といった煩雑なストレスがあり、汗だくになりながら雑踏をかき分けた先、パッと開けた景色、さあ始まるというステージ、その体験にこそ非日常があると言うのだ。

 

「みんな、何が大切かなんて事は、実は分かっています。でも、日常では簡単で便利な方法を選びます。だから音楽はMP3で聞いている人が一番多い。ライブに行く人よりYouTubeで見る人のほうが多い。世界中の凄い人、それこそスティーブジョブズの伝説のスピーチすらみんなが見聞きできる時代ですから、わざわざ飲み会に通い聞き取りにくい雑音の中で耳を澄ませるなんて、今の時代にはやりませんよね」

 

あえて非効率な事はしなくなる、というのは事実であろう。そして、2007年、iPhoneが登場したことで、スマホの時代になっていった。指導者が練習風景をSNSにアップする。YouTubeで技を研究する。それこそ効率的で門下生の成長を助けるため、決して悪い事では無い。

 

「道場へ行く前からストレスだったんですよ。駐車場の車を見て、痛い先輩が多いと引き返したり(笑)そうやって心の葛藤、煩悩があって、でも覚悟を決めて道場に入ったら、もう引き返せない。あるのは『押忍』のみ。だからこそ日常から切り離された空間なのですが、今ならそんな道場に誰も来ません(笑)」

 

スパーリングにおいても入門したばかりの白帯に対して、すぐにK.O.してしまうような昔ながらの道場には、もはや人は集まらないだろう。それどころか、クチコミなどでどうとでも広がってしまう。自然と、できるだけ楽しく、日常の延長としてストレスの少ない稽古内容に傾いてしまう。手厚いサービス業になっていってしまう。

熊谷の言うように、運営を成り立たせつつ、道場や飲み会での非日常体験が難しいという言葉は、一定の説得力を持っているように聞こえた。

そして、熊谷は今までの武道の在り方が全て良かったというつもりは無いと話す。

 

「儒教的な上下関係も、強制的な非日常も、昔はこんな感じで、それはそれで良かったよね、楽しかったよね、という程度の話です。今は今の良さも楽しさもあるはずですから」

 

 

これからの道場運営を考える

 

「私たちの時代は、先に生きる者、つまりは先生と呼ばれる人達から学ぶ以外の選択肢がありませんでした。今は多くの人が、色々な情報を持っています。だから、先生と呼ばれていても、なんでも教えられるわけじゃなくて、一緒に学んでいく時代になりました」

 

情報化社会では、先生に価値があるのではなく、場所に価値を見出していくべきではないか、そんなことを考え始めたのは、2014年。熊谷が禅道会で唯一の師範に昇段した頃の事である。そこで、道場を稽古の場のみではなく、それぞれの目標を持った人達が集まる場所にしようと考えた。極論を言えば、武道でなくとも良いと思ったそうだ。

実際に熊谷はジムを多店舗経営しており、その会員数は禅道会の国内総数よりも多い。

 

「目標を持った人たちが集まれば、そこが道の場だと思っています。ジムの会員さんの中から、空手に興味を持って始めてくれる人もちょくちょくいます。逆に空手から入って、ウチのジムに来た人はガチリフターガチビルダーを見てビックリする。そうやって相互的に影響し合える場所があると良いなって」

 

その頃に学んでいた柔術の影響も大きいという。通っている人たちは和気あいあいと楽しそうに技を習得しようとしている。黒帯が紫帯に「それってどうやってるの?」と気軽に質問しあう環境。強い弱いより、その技をかけてみたい、という姿勢がとても良いと感じた。そこから柔道や剣道、流派問わず空手の大会を見て回った。それぞれの組織の問題点もあるのだろうが、良い部分も多く知ることができたそうだ。

 

そして2019年・・・世界はコロナ禍となった。練習も中止、大会も全て中止。存続できるのかどうかもわからないまま、何とか活動を再開し、1年ほどが経過した頃、手探りで小さな大会を開催した。

 

「少年部メインの小さな空手大会でした。それまでは、いかに大規模で権威ある大会を作るか、参加者に思い出や価値を提供していくかを考えて、大会を非日常の場にしようと思っていたのですが、コロナで全部吹き飛んじゃって。でも、久しぶりに開催した小さな大会で、感じた事がありました。出場者は、優勝するとか上を目指すとか、そういった目的ではなく、久しぶりの試合に、どこまで動けるのだろうか、どこまで戦えるだろうか?という自分自身への問いかけみたいなものを、持っていました。久しぶりなので当たり前といえばそうですが。強い弱い、勝った負けたってのは、結局は相手次第ですから、自分への追求が本質に無いと」

 

そこから、熊谷は、違う流派の先生にも声をかけて生徒募集の手伝いを始めた。そして道場を開設したいという門下生に対して、新しい流派を立ち上げるサポートまで始めたのである。

 

「みんな同じ流派で同じ稽古して同じ事を目指してもつまらないでしょ。それこそ序列が出来て、上を目指すという発想になると、そこは運の世界になっちゃうんで」

 

それぞれの特色を持ち別々の目標を掲げた他流との交流が、非日常の体験になるのではないかと考えるようになったのである。

 

「まだ、うまく言語化できてないですが、UFCができる前まで、プロレス、ボクシング、空手、柔道、合気道、どれが最強なのか熱く語り合っていました。そんなのルールが変われば全部変わるし、やる人の才能の問題のほうが大きいという、まったく意味のない会話だったわけですけど、とても楽しかった記憶があります。それから総合格闘技が一般化してスポーツ的になって、勝つための効率化が進みました。見ているだけなら技術レベルが上がっていくので楽しめますが、効率を求めるほどに、やる側の面白さがなくなってしまって。勉強が嫌いなのは、答えが決まっているから、暗記がダルいでしょ(笑)宝蔵院の槍、宍戸の鎖鎌、武蔵の二天のような、生き死にかかっているのに、なんで選んだ武器が鎖鎌なん?って思いませんか?(笑)そういうのが面白くて。意味や価値を、他人には求めない、自分だけの追求というのが良いと思いました」

 

まるで、格闘ゲームで変わったキャラを選ぶような、バーチャルから武道を始めた、熊谷らしい発想であると感じた。そして、こんな事を言い出すのである。

 

「ほら、子供の頃の裏路地」

 

いわゆる「武道家っぽさ」の様な一般化されたイメージを熊谷はあまり好んでいない。だからなのだろうか、持ち出す例も、武道から少しズラして語る。

 

「少年が通学路を破る心って、何も早く着きたいわけじゃないし、誰に勝ちたいとか、見てほしいとか、そういう事じゃないですよね。ただ何となく、それが楽しそうだからやる。小さめの冒険、適度な緊張感。そこには色々な発見があって。自分の中で満足が得られるか、納得できるかだけの行為ですが、それこそが生きているって事だと思うんです」

 

 

調律と正午

 

色々と構想をすることが好きな熊谷だが、自分自身の稽古についてはどのように考えているのだろうか。

 

「自分の稽古は、ここで毎日90分だけやっています」

 

複合トレーニングマシンやダンベル、自転車、グローブやミットなどが置いてある部屋の写真を見せてくれた。8畳ほどのスペースである。

 

「どのくらいの負荷が身体に入ったのか、その時にシャドーの動きはどうなるのか、考えている通りになっているか、という身体と感覚のズレを直すように取り組んでいます。健康運動レベルですね(笑)イメージとしては『調律』している、という意識を大切にしています」

 

調律とは、弦の張りを調べて整える、ちょうど良い張り具合にするという事だ。そしてこの場所を、茶室の様にしたいと言うのだが、なにもお茶を飲むためにではない。

 

「利休の茶室は、いくつかの手順を踏んで、最後はにじり口っていう狭い入口をくぐって入るらしいんです。それは、封建制度か生みだした、非日常への入口なんです。あるいは高校時代に部活動で取り組んだ弓道の、射法八節の手順もそうなんですよ」

 

楽しそうに語る熊谷は、サウナを作る計画を練っているというのだが、娯楽の為ではなく、どうやら本気で自分なりの非日常の場所を完成させるつもりのようだ。

 

「サウナも、身体への負荷のかけ方、つまりストレスの適度な与え方がハマると、整う状態になりますよね」

 

なるほど、ここで熊谷の考えている非日常の定義を思い出した。ストレスを手順よく適度に与え、カオスを整えていく先にある、というものだ。

自らの稽古を調律だと表現するのも、弦の張りを適度なストレスだと考えればわかりやすい。

 

「非日常のイメージは『正午』です。太陽が横から照っていると、自分の後ろに影が伸びますよね。陰陽の比喩は「善と悪」とか「正解と不正解」とか「過去と未来」という解釈で、まあ、「強い弱い」や「勝ち負け」でもいいんですが、それは実在しないただの思考です。日常ではその雑多な思考が散らかってる状態です。そして昼12時、正午になると、太陽は真上なので、伸びた影は消える。それが今、この時。大いなる正午。現実、リアルというのはその一瞬にしかないので、日常では中々感じられないから、手順を踏んでいくプロセスが作られたんでしょうね」

 

説明が独特だが、何となくわかるような気はする。つまり、日常生活に追われていると、ついつい忘れてしまう生を、今の瞬間を意識することで、身体的実感を得られる、マインドフルネス的な事を言いたいのだろう。日常では、老後に不安を覚えてしまうように、失敗を恐れてしまうように、まだ実在していない事を考え、思考を散らかしていないだろうか。適度な負荷を手順よく与えていく事で、余分な思考を剥がしていく。そして残った感覚を整理していく行為が調律だというのだろう。そうやって正午を迎えるのだ、と。

 

「こんな話は、紀元前から数多の哲学者がすでに言っている事ですから、それを実験しているだけです。何かの役に立つ訳ではなくて、ただの自己満足(笑)」

 

何度か取材で足を運んできたが、最初に呼ばれたのは道場だった。次はトレーニングジム、そして今回は接骨院の骨模型が置いてある部屋で話のまとめに入っている。今は色々な『場所』を作る事に取り組んでいるのであろう。

熊谷は会社経営者でもある。データから趨勢を絞りこみ戦略とヘッジを考える、実に合理的思考という印象だ。多くの人の思考と感情の潮流を見誤らず、理解と共感を一定数、得る事が必要だと語る。

 

だが、自分の稽古の目的は合理的ではなく、誰に理解される必要もない。

 

少し気になった裏路地を見つけるたびに、小さな冒険に踏み出して行く事が、熊谷にとっての武道人生ではないだろうか。

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