空手を武道スポーツとして柔道、剣道に比肩しうる存在とするためには、「組手の試合化」が必須の条件であった。しかし、組手を競技化する際には“実戦性”と“安全性”の両立という、避けて通れない矛盾をクリアーしなければならない。
柔道はルールと畳、剣道は竹刀と防具を研究開発することによって、この矛盾をクリアーしたが、空手の場合はそう単純にはいかなかった。柔道の場合は地面に投げたり、関節を折ったり、また剣道なら真剣を持ったりといった具合に、それぞれ競技と実戦を連想しやすい武道であったが、生身で打ち合わない限り素手・素足を使って戦う空手の場合は、その連想が容易ではない。
そのような中で、初期の頃に最も研究されたのは意外にも、現在、“社会的認知”という点において最も安定した評価を受けている寸止め組手ではなく、「防具組手」だった。 この防具組手は、韓武館や東京大学空手道部を中心にかなりの研究が為された。一見、「打ち合えて、怪我も少ない」ため理想的に見えた防具組手だが、当時は間に合わせ程度の防具しかなく、やはり危険度も高かったようだ。
そのため、次第に拓殖大学空手部などが中心になって創案した「寸止めルール」が、時代の主流を占めることとなった。当たる寸前に技を止めるこのルールは年齢・性別を越えて容易に取り組むことができるとして、多くの流派で用いられることとなった。
後に空手の統合組織として誕生する全日本空手道連盟(略称:全空連)においても、寸止めルールは正式採用され、ひとまず競技空手は完成したかに見えた。
全空連の設立とともに、空手は一気に市民権を得ていくこととなる。インターハイの開催を皮切りに、1978年からは国体のデモンストレーション競技に、1981年からは正式種目として採用され、空手競技は国民スポーツとして認められるようになった。
また組手とともに、空手の伝統的な稽古法である「型」の試合も行なわれるようになった。しかし、流派門派によっては名称が同じでも動作に差異があることが多い。そのため、これを統一して判定基準を明確にしたのが「指定型」である。この「指定型」の登場で、多くの選手に試合で勝つチャンスが増え、競技人口を増やす助けとなった。
とはいえ一方では、型の実戦の妙味が崩れることを嫌い、全空連から離れていく門派もあり、また組手の部においても、寸止めルールに不満を抱く門派が徐々に現われてきた。なかでも、最も過激なまでに全空連を批判し、自流の思想を実行したのが、大山倍達率いる極真会である。
極真会は剛柔会の流れを組むが、その組手ルールは「掴み」、「引っ掛け技」が禁じられていたため、剛柔会の血を感じることはなかった。基本的には掴み禁止(後に絶対禁止)、「顔面への手技を禁じた以外は素手・素面でどこにでも直接打撃を行なってよい」という、当時としては非常に過激なルールで行なわれた。この極真の試合は漫画・映画の題材ともなり、また格闘技色が強かったため、空手の大会としては初めて、興行としても成功。空手のワクを越えて、格闘技界を代表するほどの存在となった。
確固たる地位を築いた極真会は、ムエタイとの闘い、プロレス団体との抗争など、話題に事欠かなかったが、次第に極真ルールに不満を唱える団体も登場してくる。「実戦とは何か?」を追求する団体が出てくるにしたがって、顔面パンチがない、掴みがないなどの極真空手の規制を、実戦的ではないとの解釈が増加し極真会も大きく分裂していく。空手の求める道は「実戦性」である以上、常に進化し発展していく特性を持っているため流派・会派が増えていくが現在はおおまかに大別すれば、以下のような理念と技術追求をベースにまとまっているようだ。 |
| ■アマチュア向け顔面あり(グローブ着用)技術を追求→新空手 |
| ■キックボクシングとの併用によって実戦性を追求→士道館 |
| ■ポイント制を導入して直接打撃の中での伝統技術を追求→拳道会、佐藤塾 |
| ■防具付きKO制で禁じ手を極力廃止し、多人数対1人も想定→大道塾 |
| ■自流独自の技術を追求→芦原空手、無門会 |
| ■直接打撃試合を採用した古流→沖縄剛柔流、上地流 |
| ■誰でも可能な総合的技術と実戦性を追及→空手道禅道会 |
| ※『THE KARATEDO入門〜百花繚乱の空手界を整理整頓〜』(発行:福昌堂)参考。 |